2012.4. 6 3:40
先日しっとりとしたツアーをやったばかりなので、今回はしっとりとした投稿で。
雁(ガン)という鳥をご存知ですか?
日本人にとって、渡り鳥の代表とも言うべき鳥のひとつ。
正確にはマガンという鳥で、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸の北極圏で繁殖し、
冬は両大陸南部に渡って越冬します。
日本にも冬の間、中部地方北部や関東地方北部、東北地方、北海道に多く飛来し、
宮城県伊豆沼には数万羽が飛来、一大越冬地となっています。
今時期は越冬したガンたちが、きたる繁殖に向けて北国へ帰る “北帰行” の時期なのです。
「帰る雁」 は春の季語ともなっていて、悲哀をさそう雁の鳴き声からも、古来からこの鳥にまつわる
民話や伝説、詩歌が数多く詠まれてきました。
江戸時代の採薬使(山野の薬草をとる役人)の書物 『採薬使記』 の、蝦夷地(当時の北海道)に
赴いた際の記録に、「雁風呂」という話が書かれています。
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青森津軽の浜では毎年秋になると、北からやってきた雁たちが羽を休めていた。
その雁たちは、木の枝をくわえて津軽海峡を渡ってくる。
木の枝は、海上を渡る時にその木を浮かべて休むための“浮き木”。
しばし休んだ雁たちは、くわえてきた木の枝をその地に残し、さらに南の地へと渡っていく―。
そして次の春、雁の北帰行が始まる。
雁は、秋と同じように津軽の浜で休んだのち、秋に自分たちが残していった木の枝を再びくわえて
北の海へ飛び立っていく。
しかし、浜には必ず多くの木の枝が残されるのだった・・・。
残された木の枝の数は、冬の間に日本で死んだ雁の数を意味する。
土地の人は、その情景を悲しく思い、残された木の枝を拾い集め、風呂を焚き、人々に施した。
そうすることが、北に帰れなかった雁への供養なのだった。
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というお話。
江戸・上方両方の落語でも似たような噺(はなし)が語られ、つい数年前には某CMにも取り上げられました。
まことに日本的な、「もののあはれ」的な自然観ですね。
どうやら実態は、青森の地に伝わる伝説・民話、というよりか、江戸や上方の人々が雁の悲哀を
津軽の土地と人柄に重ねて伝えた話のようです。
(落語での噺の舞台は函館になっているくらいですし・・・)
また 本来の鳥の行動としては、渡りの際に木の枝をくわえて飛び、
海上で浮き木にして羽を休めながら渡る―、
なんてこともありません。
だけども、そういうツッコミはナンセンス。
江戸時代には、生き物の殺生を戒め、他人に湯を施すことが徳になる、という仏教思想が強くありました。
そこに、毎年決まってやってくる 「雁の渡り」 という自然情景と、人の優しさや功徳を積む大切さ、
などが組み合わさり、ひとつの話として伝えられました。
身近な自然と、生活や思想が密接につながりあっていた時代です。
現代の私達には、こんなふうに自然を感じ取るのはムズカシイですね。
そろそろニセコにも、マガンがやって来て羽を休め、さらなる北帰行に向かいます。
こんなかつての日本人の感覚に想いを馳せて、自然を眺めてみるのもいいかもしれません。