2015.2.13  9:20

質問力

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今日は、“ガイド対お客さん” ではなくガイド個人の勉強について、ワタシの備忘録的投稿。
だから、読んでもあまり面白くないかもしれませんので、あしからず。
鳥や植物やら自然のことをキチンと書きなさい、という天の声が聞こえてきそうですが、まぁまぁ、ブログ内容は何でもアリということにしたので(1/29「ワタシ的解禁」)、お許しくださいマセ。


この日はツアーではないのですが、自然保護官(補)の若い女の子とフィールドワーク。
質問したり疑問を聞いたり、といった素直なコニュニケーションに感心するオジサンなのでした。


というのは、
「私、まだ自然のコトよく分からないです。」
と言いながら、“?” をいちいち聞いて質問する。
「アレ、◯◯でしたっけ?」
「あ~、そうそう、◯◯でした~(笑)。じゃコレは??」
こんなふうに、また新たに疑問が生まれてあーだこーだ話して・・・の繰り返し。


スバラシイことですね。
簡単なようで、仕事で歩かなきゃいけない人間ほどこういう姿勢って意外とムズカシイもので・・・。
ワタシも若い時からこんなふうに出来たら、今頃もっと色んなことを分かっていたろうな・・・なんて思っちゃいます。


ワタシの若いころ(ガイドになりたて数年の頃)なんて、
先輩と一緒に歩いていても、
「知っていないとハズカシイんじゃないか・・・」
とかいう気持ちからか、
「ふ~ん・・・なるほどね~・・・・」
と、その場では軽い感じで大したリアクションもせず(内心は「へぇーーー!な~る~ほ~ど~!!」)、
だけど、後でひとり黙々と調べて・・・。


「知っているふうにして、結局知らないんじゃん!だったらその場で聞けよ!」
みたいな自問自答をしたものです。
イヌも喰わないプライドですな。今となっては、お恥ずかしい限りです・・・。
こんな可愛げのカケラもない時期があったことを思えば、ワタクシ今はずいぶんと可愛くなりました。


特にガイドや自然の勉強なんてあまりにキリがないので、日々の勉強やフィールドワークの時に、こんなふうに「聞く(質問する)」ということはとても大事。
自然関連の学校でも“質問力”や“雑談力”といった内容で、講義になったりするくらいです。


700年ちかくも前に、かの兼好法師(吉田兼好・卜部兼好)は「徒然草」の中で次のように書いています。


(原文)
能をつかんとする人、「よくせざらむ程は、なまじひに人に知られじ。内々よく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かくいふ人、一藝もならひ得ることなし。
いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交(まじ)りて、譏り笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、妄りにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人、に許されて、ならびなき名をうることなり。
天下の物の上手といへども、はじめは不堪のきこえもあり、無下の瑕瑾もありき。
されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、萬人の師となること、諸道かはるべからず。


(意訳)
『これから芸事を身につけようとする人は、「未熟なうちは、人に見られたくない。人知れず勉強・練習して上達してから披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな人が芸を身につけためしはない。
まだ芸事が未熟なうちからベテランに交ざって、バカにされたり笑い者になっても臆することなく、恥ずかしがらずに頑張っていれば才能や素質などいらない。道を踏み外したり、我流になることもないだろう。
そのようにして時を経たときには、要領だけよくてそのようなことをしなかった者を超えて、達人になるだろう。人間的にも成長し、努力が報われ、達人に至るわけだ。
どんなに優れた人も、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、無二のものとなり、万人の師となった。どんな世界も同じである。』


さすがです。兼好さん。ビバ!兼好!
いちいち納得です。
肝に命じておきたいものです。


15才以上も年下の女の子と一緒に歩いて、改めて思ったものでした。

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